2020年8月27日、太平洋總業サービス株式会社は
おかげさまで創立50周年を迎えることができました。
これまで支えてくださった皆さまに、心より御礼申し上げます。
50周年の節目に「共に進む」というスローガンを策定、
「誠意と熱意」を大切に守りながら革新いたします。
これからも変わらぬご愛顧を賜りますよう、お願い申し上げます。

創立50年のご挨拶

飯島一光
我が社は令和2年8月27日に創立50周年を迎えることが出来ました。
昭和45年のこの日、川崎市の浮島港に「太平洋海事サービス株式会社」の社名でフェリ一関連事業者として産声を上げました。以降、新東京国際空港(成田国際空港)の開港に伴い空港事業を立ち上げ、次いで埼玉県にプロ野球球団である西武ライオンズの誕生に伴い陸上事業を立ち上げることにより陸・海・空の3部門体制となりました。そして、創立10周年を機に現在の社名「太平洋總業サービス株式会社」に改め、今日に至ります。

50周年という大きな節目を迎えられましたのは、お得意様、お取引先様方のお引立てとご愛顧の賜物であり、心より感謝申し上げます。また、従業員の皆さまが「お客様から喜んでいただける仕事をしよう」と、常日頃より心掛けてきた努力の結果と、情熱の証しであり、経営の任に当たる者として心より感謝申し上げる次第であります。

この良き日を創立記念式典として従業員の皆さまと一緒にお祝いをすべく検討しておりましたが、予期せぬ新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、経済状況はリーマンショックや東日本大震災を上回る不況を招く事態となり、世界的にも今だ経済が回復の兆しすら見えてこない深刻な不況が懸念されております。我が社に於いても同様で非常に苦しい経営状況下におかれている中で、創立記念行事の取りやめも一時は検討しておりました。しかし、お得意様やお取引先様、そして関係各社様と従業員の皆さま、さらには会社の発展に尽力された先人の方々、ご支援ご鞭撻をたまわった先輩各位への感謝の気持ちを込めて、ささやかではありますが創立50周年のお祝いをする運びとなりました。

結びに我が社の社是は「誠意と熱意」であります。時代の変遷とともに考え方や思想の移り変わりがあったとしても、根本の精神には少しの変化も無いと信じています。私共はこの社是の精神を忘れることなく、更なる発展を期するため新たな覚悟で挑む姿勢を持ち、情熱と力を心で燃やし一歩一歩、すべての皆さまと未来へ向かって共に進んで参ります。皆様方におかれましては、これまで同様に変わらぬご支援ご愛顧を賜りますよう心よりお願い申し上げます。
代表者署名

50年の歩み

港湾事業の成り立ち
1970昭和45年 会社の設立と港湾事業の成り立ち
昭和45年8月27日「太平洋海事サービス株式会社」として、神奈川県川崎市の浮島港内に本社を置き会社を設立、日本カーフェリーが神奈川県の川崎港と宮崎県の日向港を結ぶ航路の開設に伴い、港におけるカーフェリーの諸作業を行うべく、昭和46年3月、同航路の就航に合わせて業務を開始いたしました。また、同年6月には宮崎カーフェリーが神戸と日向を結ぶ航路の就航に伴い神戸営業所を開設、翌年の昭和47年7月には同じく宮崎カーフェリーが大阪と日向を結ぶ航路の就航に伴い大阪営業所を設立し、現在の港湾事業の礎が形作られました。
1977昭和52年 空港事業の成り立ち
昭和52年7月、国際上屋サービスの一部をAGS社(現在の株式会社JALグランドサービス)より受託し、翌8月に成田支店を開設。また、昭和53年5月の新東京国際空港(現在の成田国際空港)開港に伴い、日本航空の上屋で輸入貨物の解体業務を開始、昭和54年4月には航空手荷物サービス株式会社(現在の株式会社JALエービーシー社)よりポーター業務およびエアラインサービス業務を受託する事となりました。当社として初めて新卒者の採用を行ったのもこの年でありました。昭和55年8月に日本航空より海外航空会社の輸出貨物業務を、昭和59年には日本航空および日本航空が受託している海外航空会社の輸入パウチ業務を、さらに平成2年には日本航空の輸出業務である貨物取扱業務と搬出作業等を受託。これにより旅客ターミナル業務と貨物取扱業務と言う空港事業の礎が形作られました。
空港事業の成り立ち
陸上事業の成り立ち
1979昭和54年 陸上事業の成り立ち
昭和54年、西武ライオンズ(現在の埼玉西武ライオンズ)の本拠地球場として開業した西武ライオンズ球場(現在のメットライフドーム)の使用開始に伴い、グラウンドメンテナンス業務および球場外周部等の清掃業務を受託し、同年5月に所沢営業所を設立致しました。また、翌年の昭和55年4月に株式会社プリンスホテル(西武グループ)が運営するサンシャインシティプリンスホテルの客室清掃業務を受託し、スポーツ施設管理業・ビルメンテナンス業を主とした陸上事業の礎が形作られました。

1980昭和55年

陸・海・空3部門確立後の会社の歩み
カーフェリーの諸作業を行うべく設立された当社は、設立から10年間で港湾事業だけでなく空港事業そして陸上事業を設立し、オールラウンドでの事業展開を行う企業へと成長を遂げました。昭和55年8月、会社創立10周年のこの年、本社新社屋の建設に着手すると共に、社名を「太平洋海事サービス株式会社」から現在の「太平洋總業サービス株式会社」に改め、新たな船出をする事となりました。社名の変更以降、日本経済も好調に推移し、昭和の終わりから日本はバブル経済に入り、当社も業績を伸ばす事となりました。しかし、元号が変わり平成になると、このバブルが弾けた事により不況を招き、日本の経済は大きく傾く事となりました。そうした中にあっても、我が社は好景気に浮かれる事なく堅実な経営を行うと共に、各事業所においてもお取引先様からお任せ頂いた業務をしっかりと全うしていた事もあり、景気の低迷による減収はありましたが大過なく乗り切ることが出来ました。

2012平成24年

グループ会社設立
平成7年1月17日に阪神淡路大震災が発生、港湾事業において大きな影響を受ける事となりました。平成17年12月には川崎港が閉鎖、これに伴い本社屋を現在地の川崎市川崎区藤崎に移転をいたしました。平成20年、リーマン・ショックを受けて世界的な不況が起こり、当社においても全社的に多大な影響を受ける事となり、空港事業では早期退職者を募るなど多くの職員を失わなくてはならない事態となりました。そして平成23年3月11日、日本周辺において観測史上最大の地震と言われる東日本大震災が発生し、事業全般で大きな影響を受ける事となり、リーマン・ショックから多年にわたり非常に厳しい状況が続いておりましたが、皆で力を合わせこの難局をどうにか乗り越えて参りました。そうした中、平成24年7月に販路の開拓と拡大等を目的とし、グループ会社「株式会社太平洋綜合開発」を設立いたしました。

2014平成26年

成田支店移転
平成26年10月、成田支店新社屋の建築に着手、平成27年1月に成田空港近隣の現在地へ移転いたしました。

2016平成28年

埼玉支店設立
平成28年8月には、埼玉県所沢市に新社屋の建設に着手、平成29年5月の完成に伴い陸上事業を再構築すべく、
所沢営業所を支店に昇格させ埼玉支店を開設し、陸上事業を統括する事業所として現在地へ移転いたしました。

2019平成31年

カンボジア王国にグループ会社設立
平成31年4月には、将来に向けて優秀な外国人材の育成および雇用の安定を図るべく、
カンボジア王国にグループ会社「TAIHEIYO GLOBAL SERVICE CO., LTD.」を設立いたしました。

2020令和2年

創立50周年、共に進む
元号も平成から令和に変わり迎えた令和2年の今年は、新型コロナウイルスCOVID-19が全世界で猛威を振るい、日本においても感染の拡大に伴い非常事態宣言が発令されるなど、かつて経験した事の無い未曾有の事態となっています。全国的に外出の自粛や移動の制限をされ、東京オリンピックが延期になるなど、日本経済にも大きな陰を落としている状況の中で、我が社は創立50周年を迎えることになりました。社会の仕組みや人々の生活様式、価値観などが変わりつつある今、我が社も残すべき先人からの教えや伝統を守ると共に、変わりゆく時代や社会にあっても、求められる「共に進む」企業であるべく鋭意邁進して参ります。

スローガン・ロゴマークについて

世の中の価値観が、急激に変化しようとしている厳しい時期に
当社は大きな節目を迎えます。

50周年のスローガンである「共に進む」には、
既存の在り方に満足し足踏みするのではなく、
創業から守り続けている社訓「誠意と熱意」の本質は変える事なく、
先ずは全職員がしっかりと手を取り合い、歩み寄り、
一丸となって明るい未来を築き上げていこうという気持ちが表現されています。
また、これからも私たちと関わる全ての皆様に感謝の気持ちをお伝えしつつ、
共に更なる飛躍を目指して邁進していきたいという想いが込められています。

ロゴマークは、企業シンボルマークのデザイン要素であり
「翼」をグラデーションにて表現し、変わる・進化する意思を伝えています。